人という生きものほど難しいものはない

人が何かを望むこと、それが贅沢と言われるのなら

なぜ「希望を捨てるな」という説教をされるのか。

人が何かを諦めるのがいけないことだと言うのなら

なぜ「貴方にそれは必要ない」という言葉を投げられるのか。

人が誰かを愛することが素敵なことだと言うのなら

なぜ「異性との仲など賛成できない」と言われてしまうのか。

人にはいろいろな感情が与えられ

また思考や感覚なども多々あるが

全てを善のこととして感じるわけもなく

動かせるものでもないことは人は知っているはずだが

知ろうともせず、気づかないものであるがために

各々が受け継がされている性質を正しいと認識し

己の感情を他人にぶつけがちで

趣味思考までも共有させようとしてしまい

それらに共感した人のみを

正確で優しくて雄大であると勘違いする。

人というのは単純でもあり、とらえようによっては

とてつもなく結ばれにくく複雑であるとも言えよう。

活字を追うだけの学問など名ばかりで

それをこなしたからと言って地位や名誉、または

世に絶賛されるような人格であるとは言えないだろう。

今この命がはたしてどんな意味を持つのか

どんな形でもいい、他人を愛し尽くす心が持てているかどうか

老若男女関係なく人だからこそ実行可能な

話し合いや助け合い、互いに得られるものがあるという

意味あるつながりを継続できているだろうか。

金銭で動くことに人情と言うようなぬくもりはない。

困難に直面した者を見ていながら

その痛みを和らげることなど

己が可愛い人間は無視する傾向にある。

痛みを分かち合うなど本心から好んでいる人などいるはずもなく

誰もが避けて通りたい感覚である。

だが、人が一人で存在できないことは確かであろうから

どんな感情もわかり合い、受け入れることができてこそ

真の愛情であり、友情でもあるだろう。

人は歳を重ねると大人と呼ばれるが

では子供と大人の違いは生きた長さだけなのか。

教えるも教えられるも、やるもやらないも

年齢は関係なく、ささいなことでも与えられるなら

誰でも恩人になれるだろう、

小さなことでもやりたいと望むなら

誰でも勉強はできるものである。

人はそれぞれ様々な才能や素質、いろいろな性格を持つものであるから

それらが交わることでより良い対策ができあがる。

交わることを嫌悪すればするほど

孤立してどこへ行こうとも

誰に会おうとも救われることはない。

全ての人間を受け入れることなどできないが

せめて接触のある人たち同士だけでも

勇気や思いやりを捧げあうようにしてほしい。

それが実現すれば、この世に残酷としか思えない

不幸、差別や犯罪など起こることはないだろう。