信じるにもほどがある

人はもともとは弱いもので

寂しがり屋で泣き虫で

何かに頼りたくて

何かにすがりつきたいものでしょう。

私もそんなところがあります。

ない方がおかしいくらいだと思います。

そんな状態で産まれてきてると思うんだけど

生きているといろんな経験するし

出会いがあり別れがあり

好みが変ったり

考え方とか受け取り方が

変ったりもするでしょう。

そんなことない人も

いるかもしれないけどね。

私は産まれた頃から

正直健康体とは言えなかったし

決して恵まれてるとは言えませんでした。

今でもそうです(;_;

でも幼いながらに

考えて行動して

親だけじゃなく

周りの大人を見ながら

無意識のうちに善悪などを

判断するようになってたと思追います。

たぶんですけどね。

私は子供だったから

大人が正しくて物知りで

大人の言うことは聞かなきゃいけないと

思ってたのは覚えてます。

ちょっと成長してからは

そうじゃないって思うようになったけどね。

いじめられてた頃も

病気が次々発見された頃も

辛いのは当然で

でも誰のせいでもなく

いじめられるのは当然だと思ったし

病気で苦しんでるのも

私だけじゃないんだからと

落込むことはなかったです。

子供であり未成年の頃だったから

深く考えなかったんでしょうけどね。

私は死んだ方がいいのかなとか

生きてても苦しむだけだなって

考えたことは何度となくあります。

でもそれは違うと

考え直すことができてました。

特別両親に相談したわけでもなく

誰かに助けを求めたわけでもないです。

周りの暖かさとか

触れ合いのおかげはあったと思いますけど

事情を話して助けてほしいと

言ったことはない詞

直接いじめをなくしてもらったとか

看病してもらったわけでもなく

(当たり前の看病はしてもらいましたが)

最終的には自分で答えを出して

自分で試行錯誤して

自分で解決させてきました。

周りは協力をしてくれただけで

結果どうするかは

全て自分自身が

決めることだと今でも思ってます。

世間にはいろいろと

頼りたくなるものがあるようですけど

皆さんは何に頼りますか?

病気になれば医師を頼るでしょうし

勉強をしたければ

先生と呼べる人に頼るでしょう。

他にはお守りを身に付けるとか

神社仏閣を巡るとか

人それぞれあるでしょう。

何に頼るか何を信じるか

そんなことは個々の勝手ですから

どうであってもいいと思います。

ただ人は弱いから

一度信用すると

そこからなかなか離れられないものです。

日本には宗教というものが

幾つもありますね。

どこでどう分別されたのか

学のない私にはわかんないけど

全て人が作ってきた物です。

おとぎ話みたいに夢が叶う

魔法のステッキがあるわけじゃないし

幸せが空から降ってきたわけでもないでしょう。

人が先祖代々伝えてきたもので

そんな人達もまた

いろいろ意見が分かれて

各々考え方もとらえ方も

違ったはずです。

宗教の中には自分の宗派以外を

全否定して悪口を言い続けて

自分の宗派が何より正しくて

これ以上の立派なものはないと

言い切ってしまう宗派があるようです。

私はそれこそが間違いだと思います。

人と人が触れ合ってできているのが

いわゆる世界であり日本もその中の

一つの島国ですね。

信じるのは悪くないし

本人がそれを理想として望むなら

それでいいでしょう。

私がとやかく言うことじゃないです。

でも自分以外を全否定して

自分を信じなければ不幸になるとか

自分を信じなければ幸せは来ないとか

根も葉もないことを言ういわゆる信者は

人間としてろくなものじゃないです。

なぜなら一人の人が他を相手に

全否定する権利などないからです。

「そちらはそうなんですね、うちはこうなんですよ。」

と互いをそれなりに理解することこそ

真実の救いであり幸いだと思います。

こういうたちの悪い信者たちは

結局は弱いんですよ。

だってそれがないと生きてられないんだから。

情けないものですよ。

私はこういう宗派の人に

だらだらと話されたことがあるんですけど

「頭おかしくなってるなぁ、現実が見えなくなってるなぁ、

認知症みたいに幻覚幻想幻視しか見えなくなってるなぁ。」

って感じてました。

しゃべり方が異常なんですよ

こういう人ってね。

話しが終わりそうになった時

「どう思いますか?始めませんか?」

って言われたんだけど

私ははっきり言いました。

「私はいろいろ苦しんで正直幸せとは

言えないかもしれませんけど

自分自身がしっかりと意思を持って考え方を改めて

行動を変えていくことによって

自分にとっていい環境に恵まれると思います。」ってね。

そしたらこう言ってきました。

「考え方で変るなら自殺者などいません!」と。

私は言い返しました。

「自殺などするのはその人が弱いからでしょう、

強い人なら実行しません。」ってね。

相手も黙らないから返ってきたけど

「弱いからじゃありません!強いから助かるものでもありません!

自分ではどうしようもできない人がいます!」と。

聞いててバカバカしくなってきて

通じない相手だからそこでやめました(ー。ー#)

無駄なんですよ。言ってわかる人間じゃないんです。

どうにかして信者を増やしたいだけ

言うだけで何にもできやしないんです。

入り込むと錯覚だらけで戻れなくなるんですよ。

なぜそうなるか?簡単です。

人は元が弱いから

病気とか不安とか身内の不幸があったりして悩んでると

いかにも正しいように言い聞かされると

そっくりそのまま信じてしまうんです。

弱ってる時は何かに頼りたくなるし

助かりたいと思うから

騙されてることに気づけなくて

入り込んで人間らしくなくなるんです。

それが証拠に勧める信者は

自分より弱いと思う人にしか近づきません。

自分より地位や名誉があってお金があって

幸せな人には近づけないんですから。

そういうものだと気づけない弱虫たちが

信じ込んでしまうものです。

私の元に来た人も私が障碍者だと知ったから

引き込もうとしたんです。

話し始めからそれが丸見えでした!

バカですね残念ながら私の方が

上手だったということですよ。

そんなものに引きずり込まれてたまるかと

強い意志が私にはあります!

言っても無駄だから言わなかったけど

障害があるからって下に見るな!

病人だから自分より弱いと思うな!

少なくとも私はそんなものを必要としない!

自分がどれだけ意識するか

何もかもに流されることなく

精神力を高められるか

全て自分自身で結果を出す。

頼るなら人間らしい普通の人

暖かさがあって思いやりがある

そういう『人』を頼ればいい。

頼って助けてもらいながら

最終的には自分で答えを見つける

それが私達の理想的な

生き方だと思うんですけど

私も未熟で物知らずだから

正解とは言わないけどね。