親友ってありがたいよね。

私には生まれた頃からお付き合いが続いている男性が2人いるんです。勘違いしない
で下さいよ。男女交際じゃありませんからね。この2人、私が健康だった姿も知って
ます。障害を負った私も知ってます。小学生の頃から視力が低下したり、その他病気
を患っていろんなことがやりづらくなったり、できなくなっていった私は学校ではみ
んなにバカにされ、無視されたり、除け者にされたり、友達は1人としていなくなっ
ていったけどこの2人は全然違って何があったって関係ないっていう感じでよく一緒
に遊んでくれたんですよ〜。あんまり幼い時のことは記憶にないけど小学生の頃のこ
とはよく覚えてるんです。お互いの家を行ったり来たりしてお泊りしたものです。夏
休みとか冬休みには必ず一緒に過ごす日がありましてね、夏は2人のおじいちゃん、
おばあちゃん、そしておばちゃんも一緒に住んでる田舎へお邪魔して。もちろんお互
いの家族合わせてですから7人で行ってましたねぇ。ここは今はどうか知らないけど
蛍が生息してるんですよ。だから夜になると数人で蛍狩りに行ってました。暗い場所
でも少し明かりがあれば私もまだ移動はできてましたから。兄の方が結構器用ですば
しっこい奴でして、(奴なんて言ったら失礼ですね。)虫取りの名人でしたねぇ。弟
もなかなかやりますけどね。チカチカ光る蛍、懐かしいなぁ〜。なんと言っても優し
いですから私の方が年は上ですが助けてもらってばっかりでしたよ。(今でもそうで
す。)食事も一緒、お風呂も一緒、田舎は家も広いので畳の上を走り回ってました。
私の家に来てくれる時もありましたよ。うちでは花火をやってました。私の父は子煩
悩でして3人の遊び相手になってまして、本人もうれしくてたまんないんですけどね
。公園にも行きました。プールにも行きました。お祭りや遊園地にも行きましたねぇ
。冬休みは私の家に来てくれることがほとんどでした。小学生の頃って宿題で凧作り
がありますよね。(今はないのかなぁ?)毎年一緒に作ってましたよ。2人は最初か
ら最後まで手際よく作るんですけど、私は父に手伝ってもらってなんとかできあがら
せてました。自分でやったのは絵を描くことだけですねぇ。それもやっぱり見えにく
かったり、手先がぶれるとまともに描けませんから学校だとひやかされるものですけ
ど、2人は絶対そんなことはないんですよ。だから完成したら当時の実家の隣にあっ
た原っぱで一緒に走り回って凧上げしたものです。私は運動能力が低いので父と4人
で公園に行った時とか遊具で上手に遊べませんし、見えにくいからボールなんか使っ
て遊んだりもできないんですよ。そんな感じだから「こんな奴とやってらんねぇ!」
ってなっても不自然じゃないけど2人は全て受け入れてくれるんでなんにもできなく
ても一緒にいてくれるだけで楽しかったですねぇ。お風呂も私が4年生になるまでは
この4人で入ってました。アパートのせま〜いお風呂によく入れたな〜って今は信じ
られませんけどね。一人がそこらに置いてあるシャンプーとかリンスとか洗面器とか
をわずかに動かして目隠ししている3人がどう動かしたかを当てる「間違い探しごっ
こ」をしてましたよ。だから長風呂だったなぁ〜。それと2人は私の母の手料理が大
好物でしてね、母が出す食事はこれもおいしい、それもおいしいと言ってきれいに食
べてました。だから母も作りがいがあるんで張り切ってましたねぇ。私の方も2人の
両親にお世話になってましたよ。おじちゃんは盲学校に拡大テレリを寄付して下さっ
たり、私に哲学のような話を聞かせてくれて人の生き方を教わったような感じです。
おばちゃんは自分も女の一人っ子なので私の気持ちをよく理解して下さいましたし、
私が去年一人暮らしを決心した時、助けてくれるヘルパーさんが必要だと相談したら
利用できるように書類をそろえて下さったりしました。そういうお仕事をされていま
すからね。私が一人暮らしを始めたきっかけはまたの機会に書くとしておかげでとっ
ても親切な方々に助けていただいてます。中学生頃までは2人とこうしてよく遊んで
いたけど、高校生になったくらいから2人は学校での友達付き合いが増えてくるし、
進路も考える時期になって、私も盲学校では友達がいたから付き合いはあったし、そ
れなりにやらなきゃいけないこともあるからこれまでみたいな付き合いはできなくな
ったけどね。それから兄の方は東京の大学に行って、弟は名古屋に行ったんだったか
なぁ〜。私は校内の理療科に進級したんですよ。離れ離れになっちゃったから会うこ
とはなくなってたんです。何年も経って去年の春、兄の方が一時実家に帰省して久し
ぶりに遊びに来てくれたんですよ。私はもちろんだけど両親の方がまだかまだかと待
ってましてね、おじちゃん、おばちゃんと3人で来てくれてそこからくだらない話や
面白い話、ちょっと考え深い話をしながら5時間くらい飲んで食べて笑ってあきれて
。最高に楽しかったんですよ。弟にも電話して話はできましたしね。さよならする時
変わらず親友でいてくれることに感動しちゃって私は涙が流れましたよ。兄の方は作
家でして、ミニチュアの作品をプレゼントしてくれたんですよ。今でも大切にしてま
す。弟は電気店に努めていて休みが取れないらしくって離れてからはまだ会えないま
まなんで残念ですよ〜。そして私が訳あって去年の秋から今年の春まで埼玉にいたん
ですけど(これについてもまた後日書きます)だからお互いに休みで時間が取れれば
兄に会いたいなぁっておばちゃんに言ってたんです。そうしたら3月の下旬、私はそ
ろそろ地元へ戻らなきゃっていう頃に電話を兄がくれましてね、「日曜日にディズニ
ーランドに行こう!」って誘ってくれて兄の彼女と3人で行ったんですよ。春休みで
混雑してたけど、障碍者にはあるサービスがあるんで結構楽しめたんですよね。そこ
でまた弟とは電話で話しましたよ。彼女もとってもかわいらしくって優しい人だから
すぐ打ち解けましたからね。最高の思い出です。それから数か月して今年の7月下旬
に埼玉でできた仲間に会いに初めて一人旅行した時、東京に行くことにしていたから
「またどっかで会えないかなぁ?」とお願いしてたんですよね。そうしたらちゃんと
考えてくれていて、3人で居酒屋に行きましたよ。浅草の仲
店も兄には連れて行ってもらいましたしね。私は外食の経験が少なくってお酒も飲め
ないんで初体験でしたけど、兄も彼女も親切に何もかもやってくれたんで
困ることもないですし、遠慮がいらないんで心底から楽しめましたよ。私が食べにく
いとしっかりサポートしてくれますから。介助の方法を教わってるわけじゃないんだ
けど歩く時も、食事の時も説明がカンペキなんですよねぇ〜。居酒屋を出たら、夜な
んでもちろん真っ暗。そこでさよならするんじゃなくって、私が泊まるホテルまで
連れて行ってくれて部屋の中もどうなってるか全部説明してくれてから「じゃあ、ま
たね。」ってさよならしましたからねぇ。私達視覚障碍者同士はある程度は
理解し合えて当然だけど世間で言う「健常者」の兄と彼女のいきとどいた優しさに心
からありがとう!そしてもちろん弟も、おじちゃん、おばちゃんにもありがとう!こ
んなできそこないの私ですけどこれからも末永くどうかよろしく。
皆さんにはどんな仲間がいますか?「親友」と呼べる人はいますか?もしいたら宝者
です。大切にしましょうね。いない人はぜひつくってください。特に私達障碍者にと
ってはありがたい存在ですから。