今何が見えますか?

私の視力が下がり始めたのは小学校3年生頃のこと。それまでは1,5くらいでした
からなんにも不自由しなかった。学校って学期の始めに「身体計測」がありますよね
。そこで0,3になってるって知らされたんです。だけど人間って0,1以上視力があ
れば日常生活には支障ないと言われます。(障害の種類によるでしょうが。)それに
私は子供でしたから「ふ〜ん、目が悪くなっちゃったのかぁ〜。」っていう程度にし
か考えらんなかった。一つ言うなら自分が書いた文字の読みづらさは実感してました
。親もそこまで深刻にはならなくってほおっておいたんです。そしたら年々視力が下
がっていって6年生の時に0,1になっちゃったんですよね。それまでにもちろん眼
科には行きましたよ。だけど「大きくなったらメガネを作れば?」って言われるだけ
だったんでそんなもんかと思うしかないでしょう?だけど勉強についていけないし、
実際勉強しなくなったし、これからどうしようって両親と話したのを覚えてますよ。
母に言われたのは本当に困り始めたのが5年生頃だったから「あと1年くらいだから
小学校は6年生まで今の小学校で頑張らない?」こう言われて中途半端な時期に転校
しないで中学から盲学校に行くことにしたんです。無事入学しましたし、盲学校だか
らと言うのもおかしいけど環境は良くなったんですよね。だけど視力は下がり続けて
身体障碍者手帳を受け取りました。入学にあたって診断書が必要なので総合病院へ行
ったらいろいろ検査を受けましてその結果、「若年性黄斑変性症」と診断されました
。目の中心にある黄斑という細胞が機能しなくなっているものでここは一番視力が出
るところなんですよ。だから視野は今でも広いんだけど焦点が合わないんで目の前の
ものをとらえることができない障害です。原因はいまだに不明。先に言っておくと私
の持病で原因が分かっているものは一つとしてないんです。何年も経ち卒業する頃に
は0,03くらいになっちゃいました。それからまた年月経って新たに診断書を書い
てもらうために当時の実家から通っていた病院の眼科へ行って検査を受けたところ、
黄斑変性もあるけれど「網膜色素変性症」という新たな病名を告げられてびっくり!
理療を学んだ私でしたからドクターの説明が以前よりは理解できるようになってまし
たけど違う意味で「なんで?!」と思わずにはいられなくってショックでしたねぇ。
それから今に至るんですけどさらに視力は下がってきて今じゃ視力検査すらできなく
なって光が認識できるという程度しか検査は不可能になっちゃったんですよね。だけ
ど難しいところで「全盲ですか?」と言われると「いえ、弱視です。」と答えるべき
見え方なんですよ。はっきりとした映像は確認できないんだけど、人が歩いてるのは
認識できるし、色も鮮やかならわかります。だから人にどんなふうに見えているのか
を説明するのって視覚障害の方は皆さんそうだと思うんですけど難しくって正しくは
伝わらないんですよね。色変はいつ失明してもおかしくないと言うか高い確率で失明
すると言われてます。7〜8割の確率なので覚悟はしておかないとといいう病気です
よね。だけど最近は研究が進んでいるらしくって手術で治癒するのも夢じゃなくなる
かもって聞いたことがあるからなんでもそうだけど少しでも望みがあるんならふさぎ
込んでないで明るい未来を待っててもいいのかなって思いますねぇ。目の障害につい
て書きましたけど、私は他の持病の方が邪魔で仕方ないんですよ。次回はとってもや
っかいな障害について書いてみるつもりです。皆さんが読んで気分を害するんじゃな
くってこんな障害があっても楽しんで生活してることをお伝えさせていただいて今よ
りも頑張って生きていこう!って思ってもらえるようにこまごまと投稿しますのでそ
の際はどうぞよろしく。瞳を失おうとも生きている私達は人間の中でも芯の強い人間
ではないだろうか。