理療科生の頃

今回は理療科生だった頃のことを書きますね。それまでは勉強は大嫌いで、ほとんど
やらなかった私。自分でもよくやってたなって感心するくらい急に教科書を真面目に
読むようになった!たぶん、先輩に「なめてたら資格なんか取れないよ!国家試験も
そうだけど先生が作るテスト問題もかなり難しいよ!」って言われてて、こりゃやら
なきゃ生きていけなくなるな〜って思ったから、将来のために決意したんだと思うん
だよね。最初は教科書を開いても、何が書いてあるのかさっぱりわかんなくって、こ
こからの3年間が憂鬱になったけど、その日教わったところを復習していきさえすれ
ば、あたふたすることはなかったな〜。もちろん簡単じゃないんだから頭は勉強のこ
とでいっぱいになるけどね。私の勉強法は教わった個所(その時の試験範囲になると
ころ)を繰り返し読む。ただ読むんじゃなくて、声に出す。数回繰り返したら、教科
書を閉じて見ないでどこまで説明文を覚えてるか、口に出してみて、詰まったところ
で教科書を読み直して、また閉じて口に出す。これを続けて頭の中に教科書を作って
いくっていうやり方だった。それと当時は活字で勉強してたから、こういう生徒は専
門用語を漢字で書いて答えられないと点数はもらえないんだよね。だからやってる人
は多いでしょうけど、見て書いて、次は見ないで書いてを繰り返してカンペキに記憶
するまでやめないっていうやり方をとってたな〜。このくらいやんないと先生によっ
ては、テスト問題がかなり細かくって答えらんないんだもん ※今はどうか知らない
けど当時は説明文で解答することが多かった※  だから国家試験より学校での試験
の方が難しいし、答えにくい。でもこれをやんなきゃって思い込んでたから、教科書
を読まない日はなかったな〜。 そのかいあって、成績はうなぎのぼりだったし、先
生から忠告されることもなかったから、マイペーースで過ごしてたよ。 一年生の3
学期に病院に検体されてる人体を見学しに行く時間があって《と言うより触りに行く
》これはさすがに抵抗あったな〜!内臓を触って模型で学んだことを本物で確認!私
が受けた印象は『こんなに体の中に入ってるんだ〜?!』っていう感じかな。校内で
は成績がトップクラスだった私だけど、一番必須な実技がちょう苦手!(今でも苦手
。)この感覚の鈍い手がここでもまた問題。一年生は下手でいいんだけど
二年生からは実技も応用になってきて、患者の要望に応えられるように【まだ患者役
は先生か生徒同士。】  みんなから遅れちゃってたから、特訓受けましたよ。骨と
筋肉の違いすらわかんなくって、お先真っ暗!できないもんだから、実技の時間が一
番疲れてたな〜。実技って慣れない時は指が痛くって、腱鞘炎にもなるから日常生活
が辛くなる時期があるんですよ。まあ一年生の2学期には修まるんだけど。箸が持て
なくなったり、字が書きづらかったり、でも休んじゃだめで、氷水で冷やしたり、痛
み止めの注射打つ人もいたな〜。そうやって腕をみがくんですね。知らないうちにで
きるようになるから不思議!私も二年生の時から特訓のおかげで施術できるようにな
ってたよ。  専門教科はどんどん増えるから、記憶力の勝負になるんですね。一番
記憶力に優れてる18〜21の頃に勉強したのが良かったんだよ。今だったら自信な
いよ〜★  だけど≪100点≫が当たり前みたいになったら、‘80点’くらいに
なっただけで調子悪いみたいに思われちゃうから、プレッシャーが大きくなるけどね
。  三年生になったら、実際患者さん相手に施術するようになるんですよ。校内に
「治療室」があってね、私が所属してた「専攻科保健理療科」と「本科保健理療科{
高卒の資格を持っていない人が入る理療科}」の生徒が5・6時間目を使って臨床体
験するんだよ。白衣を着て、カルテを確認して、施術。終わったら先生に施術具合を
チェックしてもらってカルテに主訴や現状、施術法と施術者名を記入する。これが毎
日あるんだよ。それから校外へ施術合宿にも行きますよ。私は体力に不安があったか
ら、3泊4日で18人もできないような気がして、担任に自信がないから人数減らし
てほしいって言ったんだけど「それなら行かない方がいい。」って言われちゃってな
んとなく悔しくなったからまあ学校にも通学できてるし、倒れりゃしないだろうって
考え直して担当職員に「自分がどれだけできるか試してみたいと思います、ドクター
に相談したわけじゃないんですけど、倒れるようなことはないと思いますのでみんな
と一緒に行かせて下さい。」って言ったんですね。そしたら喜んでもらえて、20人
くらいで行きましたよ。女生徒は私ともう一人、ほとんど男性だったけど、同じよう
にやりこなせたんだよ!みんな仲間だから自由時間は楽しかったしね☆  これが終
わったらあとは※国家試験対策※ 模擬試験が月1回あって、全国統一のものもあっ
て、これは順位が告げられるんだよ。なんとかトップ10位に入ってたから国家試験
も心配ないって言われて一安心。 3学期にもなったら、授業っていうか補習になっ
て行く行かないは勝手だけど来なさいって言われる人が同じクラスには多かったな〜
。私は「寒いんだから無理して来なくても・・・」って言われたけど学校の方が楽し
いからって毎日行ってたな〜。それからは受験日を待つだけかな。  それまでと同
じようにいろんなことやってましたよ。専攻科一年の体育会では開閉会式のアナウン
ス、この時も手元に原稿置いて読むっていうことができないからいつかの作文ほどじ
ゃなかったけど、自分で作った文を暗記するしかなくって、勉強と両方だったから大
変!それに体育会は数百人の耳に聞こえるんだから、緊張して頭の中が真っ白になっ
たらどうしようって、冷や汗ものだった。無事に終わった時は爽快だったよ!もう他
にやることないくらいだったよ。文化祭では数年前からやってたんだけど、父が寄付
する目的で知り合いから食パンを買ってそれを学校に持って来て私が売り子をやって
た。1本500円で60本くらい。毎年寄付してた!修学旅行も楽しかった。九州方
面に行ったんだけど、成人だから門限なんてなくて晩くまでカラオケで騒いだ日もあ
ったな〜。  2月の最終土曜が按摩師が受ける受験日で、校内の会議室で受けたよ
。悩みやすいように4択を作ってるなって感じたよ。先輩が言ってたとおり。問題自
体はそんなにひねってるわけじゃないんだけど、しっかり確認しないと勘違いしたま
んまになっちゃうから注意深くやってたよ。提出して会議室から出た時はほっとして
脱力感さえあったよ。合格したかどうかは3月半ばにはわかるから学校に問い合わせ
る人もいたよ。私は同級生から「クラスみんな合格だって!」って電話で聞いたんだ
けどね。本当は鍼灸もやりたかったけど、手が使いづらいのが理由でだめだった★ 
 でもいろんなことを精一杯やって、いい汗をいっぱい流した時代だった。卒業して
から大変なことがありすぎて今でもなかなか落ち着かないし、生活も安定せず独立し
たとは言えないけれど、視覚そのものよりも取得するために悩んで間違えてやっと成
功を導いた結果が宝物として体のどこかに刻み込まれているでしょう。結果もろくに
出さないまま早々にやる気をなくすのは学生としても社会人としても人間としても存
在する意味がないような気がしてしまう。 障害を負うことでできなくなることも確
かにある。 しかし、失うものがあるから手にできるものもあるのではないか。 手
に入れるまでのプロセスが《人生》なのかもしれないと感じるようになっている。 
今もその《人生》の途中を自分なりに楽しんでいるように思える今日この頃・・・