バトントワーリングクラブ

前に「4年生の頃は最悪だった。」って書きましたよね。 実はそんな中でもたった
一つだけ楽しみがあったんだよね。それについて書いてみますね。  私が行ってた
小学校では、金曜日の6時間目にクラブの時間があってね、いろいろあるんだけど、
希望を選んで高学年はその活動に取り組むようになってたんだよね。 私が選んだの
は“バトンクラブ” 運動神経は0なんだけど、見た目のかっこよさと華麗さに引き
込まれて入部したの☆ <友達>って呼べる人はいなかったけど、4・5・6年の数人
が集まるんだから、同じクラスの中よりは居心地良かったの☆ 父にスポーツ店で“
トワーリングバトン”を買ってもらって、母にミニフレヤースカートを作ってもらっ
て、15・6人の中に入って始めたの☆ お姉さんに回し方とか踊り方を教えてもら
って、ほんの基本だけしかできなかったけど、見た目よりは簡単だったの☆ 今でも
少しは回せるし、踊りも覚えてるよ☆ 何が楽しみかって、秋の大運動会の時にグラ
ウンドを使ってパレードしたり、バトン回しながら踊ったり、ポンポン持って踊った
りもするの☆ 運動会のために放課後とか夏休みにも特訓するんだよ! 好きだから
なのかなんでなのかよくわかんないけど、踊りを覚えるのはメンバーの中では結構速
い方だったの☆ 今よりはもちろん楽だったけど、見えづらいことは確かだったから
、バトンとかポンポンとかその他ユニフォームとかを他人のと間違えないように細か
い所で工夫はしてたよ☆ 初めは一つの教室の中で練習するの☆ 一人一人が形にな
ってきたらグラウンドで練習☆ この時は当日一緒にパレードするブラスバンドと合
流するんだよね☆ こうして全体練習も運動会前になったら毎日やってたの☆ 見え
づらいことが多少ハンディになるから不安はあったけど、適当に自信も持ってたな〜
☆ 背が高い方だったから並び順は毎年先頭に近かったの☆ 残念ながら先頭にはな
れなかった★ だけど1000人はくだらないくらいの人達の前で自分が精一杯体使
って華麗な姿を表現するのって気分爽快でなんとも言えない達成感があるよ☆  バ
トン回しながら歩くって緊張もするけどバランス感もいるんだよね☆ だから私は最
初から気を張って「みんなが見てる、失敗するな!」って自分に言い聞かせてたの☆
 それが理由かどうかはわかんないけど、3年間出場してバトン落としたりしたこと
は1回もない! セミプロでもないんだから結構すごいことみたい! 悪口のつもり
は全くないけど、落としてる人が毎回いたらしいから★ ブラスバンドのリーダーが
笛を吹いてそれを合図にみんな進み始めるの☆ ブラスバンドの演奏に合わせてバト
ンを動かしながらトラックを2・3周して定位置まで来たら合図で止まる☆ それか
らバトンクラブはその場にバトンを置いて、ポンポンに持ち替えて踊りの準備☆ こ
の時の曲は先生がテープで流すんだけど、その年の流行曲を流してたな〜☆ それに
合わせて走って、止まって、集まって、広がって☆ 最後は背の順を考えてかたまっ
て決めのポ―ズ! それからまたパレードに戻ってブラスバンドと一緒に退場するの
☆ これが私にとっての小学校での唯一のいい思い出☆ 運動会だけじゃなくって、
近くの幼稚園や保育園に行って園児たちの前で踊ったこともあるし、病院の入院病棟
の玄関先で患者さん前に踊ったこともあったな〜☆ 園児たちはやたら騒いでやたら
手を叩いてくれてた☆ 患者さんは子供や孫を見てる感覚だったと思う☆ 笑顔で拍
手してくれてたのを覚えてる☆ 目が見えなくなって「視覚障碍者」ともなると、こ
れは続けるにはかなり難易度は高いと思うんだよね。 それに私はわけわかんない障
害もあって重複してるからやり続けて、プロになれたらって考えたこともあったけど
、奇麗に回転できないし、ふらふらするから、今の状態だと努力の使用がないんだよ
ね。 だから今はもっとやりたいって考えなくなった。 学童期の思い出、自分自身
で見つけて手にした宝物。 あの頃の私にしかできなかったこと。 だからって今の
私がなんにもできないわけじゃないんだから、幼いながらもこの手でつかんだ栄光の
思い出を持ち続けて、今度は大人として生かされている自分にいったいどれほどのこ
とができるのか、更に大きなものを手にするためにはどれほどの能力と体力が必要な
のか、大人として皆に認められるように月日を費やすのがこれからの使命だろう。 
再び栄光を手にするためにも試行錯誤が続くだろう。 その先に見つかるであろう輝
く未来に向かって突き進もう! 英雄となった自分がいるかもしれない。