入院中に気付いたこと

人生で初めて入院したのは16才の時。盲学校に元ドクターの先生がいてね、「体が
震えるのは薬で治ることがあるから病院に行ってごらん。」って言われて紹介状もら
って行ったんだよね。 紹介されたのが小児科医だったから、ちょっと違和感あった
けど。 一通り診察受けて、なんだか珍しい症状だから精密検査を受けるために入院
したんだけど、自宅以外の場所で仲間もいないからつまんなくって、早く帰りたかっ
たな〜。 母は毎日来てくれた。 これと言ってやってほしいことがあるわけじゃな
くっても自転車こいで荷物を抱えて来てくれた。 何するわけでもないけど2人でテ
レビ見ながら何時間も過ごしてた。 自宅はすぐ近所なのに、「じゃあ、帰るよ。」
って言われたら寂しかったのを覚えてる。 結局この頃はなんにもわかんないし、薬
すらないまんま、退院したんだよね。 それから約7年経って倒れて入院したんだよ
。 だけどこれで元気になったっていうわけじゃなくって、状態が悪くなるんじゃな
いけど、通院の場所と回数が増えることになるんだよね。 何年も通院してた病院で
ある時、大学病院に行くように指示されて、父に連れて行ってもらった。この頃、母
が倒れたから母が退院して通院を始めていて、私の方は大学に入院! 3人ともが落
ち着かなくっててんてこ舞い! 大学でしかできない検査を受けるために入院したん
だけど、不自由なことを考慮してくれていて、個室が用意されてたんだよね。 ‘し
かも部屋代は無料’ 主治医もそうだけど、看護士さんも検査技師の方々もみ〜んな
親切で優しかったよ☆ 視覚障碍者の世話することに慣れてる医療スタッフって少な
いものだけど、困った時のシグナルをちゃんと受け止めてくれさえすればうれしいで
すよね☆ さすがに自宅からは小一時間かかるし、父は仕事してるし、母はしんどい
から、それまでと違って数日間一人になったけど、まあ、年も年だから寂しくはなか
ったな〜。 肝臓の細胞を一部採取して、原因をつきとめようっていう検査を受けた
んだよね。 お腹に穴開けてそこから針とカメラを入れたみたい! 麻酔が痛くって
頭も体もびっくり! でもね、担当されてた医師が優しくてかっこよかった☆ 検査
室には医師が3人、看護士1人、学生が見学で1人いたよ。 私は眠り薬が効かなく
って、検査中は意識がはっきりしてて、麻酔してるからもちろん痛くはないけど、開
いた所を縫ってるのはわかったよ。 検査が終わって部屋に運ばれてから眠くなっち
ゃった! この検査って検査前日の晩から当日いっぱいは動けなくって飲食もできな
いんだよね。 寝たまんまでいるのが辛かったな〜。 横になってじっとしてたら口
の中が気持ち悪くなってきて、歯磨きしたくって看護士さんを呼んだけど、寝たまん
まウうがいするだけで終わっちゃった。 翌日にやっと起き上れたんだけど、人間っ
てしばらく寝てて動かなかったら、立ち上がってもふらついたりするんだよね。 そ
れだけならいいけど、私の場合、利尿剤の点滴を大量に使ってたから余計バランスが
とれなくなっちゃって、気分悪くなって立ってらんなかったんだよね。 そんな状態
も回復して、部屋でのんびりしてたら、今度は縫い目が痛くなってきて我慢できない
から痛み止めを一日2・3回飲んでたな〜。 食事は運んでもらうように頼んでて、
看護士さんが部屋まで持って来てくれてた。 ちゃんとメニューを教えてくれたし、
食べることを手伝おうともしてくれたよ。 そこまでは頼まなかったけどね。 薬も
準備して口に入れてくれたよ。 シャワーは部屋にないから行きたい時にナースコー
ルを押したら連れて行ってくれたよ。 終わったらブザー押せば迎えに来てくれたし
ね。 結構手取り足取りでお世話してもらえたから、体の痛みをぬいたら、苦痛はな
かったな〜。 話しやすくってサポートをしっかりしてもらえたら、本来は来たい場
所じゃなくっても、気持ちよく過ごせるなってこの入院中に感じたよ。 患者は大学
ともなると1000人以上が出入りしてると思うから、一人一人の要望を聞いてらん
ないだろうから、足りないなって思うことはよくあるけど、私みたいに障害が多すぎ
てできないことがたくさんあったら、とりあえずは手を差し伸べてくれる人がほしい
んですよね。 じゃないと身動き取れないでしょ? それが贅沢と言われるなら、声
だけでもいい。 「何か困ったことあるんですか?」 「お手伝いしましょうか?」
っていうように、ぜひ声をかけていただきたいですね。 世話に慣れてなくってもか
まわない。 介助の方法がわかんなくってもいい。 むしろ、なんにも知識のない人
が何かできないかと迷いながら助けてくれようとしている姿に私は感動します。 そ
して心をこめて「ありがとうございます。」と言います。 知らなくていい、勉強し
てなんて言わない、ただ、声をもらえるだけで、ただ、手を添えてもらえるだけで歩
きやすくもなるし、安心感を持てるんですよね。 視覚障碍者が生活していて一番悲
しくなるのは、SOSを出してアピールしているにもかかわらず、聞こえぬふりをさ
れることです。 相手の気持ちは見えないものだから、受け取るのは難しいけど、言
葉を使って表現していることは、聞こえる耳があれば、誰もが受け止められるはず。
 五体満足の皆さん、どうか私達に《救いの手》を借してください。 私達もそれに
対して《感謝の言葉》を忘れずにお返しさせていただきますので。