人の気持ちを理解できますか?

障碍者はみんな善人なのか? 決してそうじゃないと思う。 私達にも悪い癖があっ
て、「悪いことすんのは晴眼者じゃん!」ってつい口にしていることがある。 私も
今より若い頃はそう言ってたことがある。 だけど、周りを見てみたら、全然違うこ
とに気付く。 部屋を借りて過ごせるのは、障害があることを理解して、入居を許可
されてるから。 お金を出せばどこでも借りられるかと言うとそうじゃないから。 
どう頼んでも毛嫌いする人がいる中で、規則さえ守れば障害の有無関係なく受入れて
くれる人がいる。 ありがたいじゃないですか。 障碍者のためにといくつものサー
ビスがある。 充分じゃないとは思うけど、もしこういうことがなかったら、私達の
今の暮らしはないかもしれない。 確かに日本全体で考えると、福祉は進歩が見られ
ない。 だからと言って守られていないわけでもない。 細かい内容は私も知らない
ので、多くのことは言えないけど、各都道府県に何かしらの【施設】が設けられてい
るのは、一般に【弱者】と呼ばれている私達のために存在している。 必ずしも希望
に答えてもらえるわけではないけど、実際そういう場所があるから、相談もできるし
、所属することができる場合もある。 このような場所を設立するために直接関わっ
たのは障碍者ですか? 必ず「健常者」と呼ばれる人たちが多く携わっていますよね
。 よく聞く話ですが、〈私もそう思うことがあります。〉 「なんで困ってるのに
助けてくれないんだろう?なんでAさん達は優遇されてるのに、私達はほったらかし
なんだろう?」 こういう発言は障碍者の間で飛び交っています。 現にそういうこ
とはあります。 だけど、私達も文句はよく言うけど、与えられていることに感謝す
ることを忘れている瞬間があるんですよね。 障害が違えば、それに対する待遇は変
わって当然でしょう。 「目が見えないので郵便物を代わりに読んで下さい。」 「
 手が動かないので洋服を着るのを 手伝って下さい。」こういう例は私が思うにあ
って当然ですし、「それはできません。」とはまず言われないと思います。 「視力
が落ちたので食事を食べさせて下さい。」 「歩けないので部屋を明るくし手下さい
。」 大げさですがこういう例はつじつまが合いませんよね。 ならばと問題になる
のは障害が重複している場合です。 私もその一人。 手を使うことも足でふんばる
こともはっきり言えば辛いです。 ですが「視覚障碍者」としてのみ認定されている
以上、他人に本心をくみ取ってもらうのは、困難でしょう。 そこで必要になるのは
『理解者』です。 これは障碍者であっても、健常者であってもどこかに必ずいてく
れるものです。 健常者が障碍者の気持ちを理解しないというのも違うでしょう。 
逆に障碍者側が健常者の本音を理解しようとしていないかもしれないとここ最近考え
ることがある。 本当は皆が過ごしやすく、もめごとの起きない環境をつくりたいと
目指していて、それが自身の力でできないから、手が出せないのかもしれない。 ど
んな人も、自分にとって不利益だと感じたら、そのもの、そのことを否定して、ダメ
出しをするけど、今、命があって、生きていく権利を持っていて、少しでも気分転換
できる時間と場所があって、頑張れる環境と努力しようという何かが目の前にあるの
なら、それらが与えられた事実に感謝して、納得いかないことや余計だと感じること
、それら全てを受け入れられる広く深くぬくもりのある心の持ち主になりたい。 か
なり実行し難いことだけど、もしこんな人間になれたら、とっても楽になる気がする
。 そしていつしか、周りを見渡した時に自分が受け入れたことによって、周囲まで
が良い変化を見せてくれたら、皆が笑顔になれて、気持ちを交換し、互いの本音をく
み取れる日が来るのかもしれない。