母のお手伝い

小学生だった頃のこと。 母は当時数か所でパートをやってた時、春休みとか夏休み
、冬休みには、私も母のパート先に着いて行って、お手伝いしてた。 (家で一人お
留守番が嫌だったこともあって。) 私が小学生だった頃は、駅前の飲み屋さんに行
ってたんだけど、そこで母は夜に来るお客さんのために昼間数時間かけて、お酒を飲
みながら食べられるおつまみをたくさん作ってた。 これを頼まれたのは、母が料理
上手だから☆ 大きな冷蔵庫から食材を出して、それらで何が作れるかを瞬時に判断
して迷うことなく包丁を動かし、次々に鍋やフライパンに入れて一度に数種類のもの
を手際よく作りあげてた! 火にかけている間はカウンターの掃除をしたり、座敷に
掃除機をかけたりして全く時間に無駄がなかった! まだ低学年の頃はただお店の一
部屋を借りて、テレビを見たり、宿題をしたりだったけど、忙しく動きっぱなしの母
を見てると家に帰ってもやることがいっぱいある母だから、元気そうにしてるけど、
疲れてるんじゃないかなって思い始めて(私が掃除やお片付けが好きだっていうこと
もあって。)何か手伝えないかなって母に聞いて、まだ『視覚障碍者』じゃなかった
私は少しでも母の負担を減らしてあげたくって、料理はできないから、掃除全般は私
がやるようになった。 椅子が並ぶフロアを箒で掃く。 椅子をカウンターの上に乗
せて。 それからテーブルをふく。 それから同じフロアにあるお手洗いと洗面台の
掃除。  最後に座敷に掃除機をかけて、机をふいて、座敷の入り口になっている靴
脱ぎ場と下駄箱の掃除。 母と同じように奇麗にできてたとは言えないけど、母がや
り直すこともなかったし、苦情もなかったみたいだし(見えてたんだから汚れが残る
ことはそうそうないしね。) あ〜あの頃は毎日が楽しかった。 学校じゃいいこと
はなかったけど。  こういうことが子供と言えどもできてたし、お店の役にもたっ
たんだし、母と一緒にいられることがうれしかった☆ それだけで満足だった☆ 今
母はやつれて辛く、私も理想の生活ができていない。 子供の頃は家族で家にいるだ
けでも充分だって感じてたのに、年を重ねると、あれもこれもないと満足できない。
 いろんなことを経験するのは大切で必要なんでしょうけど、‘これで充分幸せ’っ
て思える昔の気持ちに戻れたら、年をとっても、体調が芳しくなくっても、そんなに
不満とか悩みを持ち続けなくて済むのかな? ‘子供は純粋’ってこういうことなの
かな〜? 昔に戻ることはできないから、苦しいながらも生きていられることだけで
もありがたいって思える人間でありたい。 こういう昔の思い出を大切にしながら。