久しぶりに親子で過ごしたよ

今日は久しぶりにと言うか、実家が引っ越してからは初めての年末年始について書き
ますね。 12月30日の午後、父に迎えに来てもらって、ついこの間まで住んでた
町へ(田舎かな?)行きました。 母に会うのはこんな近くにいても3か月ぶりくら
い。 今更だけどやつれて老いちゃったなって感じは否めないですねぇ。 父も私に
言わせれば「もうちょっと活発になってよ!」って感じだけど、まあそれが私の両親
らしさかななんてね。 前にも書いたと思うけど、母がしんどいのはある意味私が一
番よくわかってます。 だけどずっと休んじゃうと、起きることすらできなくなるか
ら私と父のためにも、そしてもちろん母自身にちょっとでも生きてる意味を実感して
もらうために、家事だけはやってもらうようにしてますよ。 食事のことはちょっと
置いておいて、今両親がどんな家に住んでるのかなって思いながら行ったけど結構便
利な場所みたい。 近くにスーパーも病院もあって、駅もそんなに離れてなくて、よ
くこんな所に住めるようになったなって思ったよ。 平屋だから危なくもないし。 
広くはないけど夫婦2人なら充分だよ。 私の家と違ってお風呂とお手洗いは別だか
らこの方がいいなって思ったよ。 (シャワーはなかったけどね。) 一日目は初め
ての所だからどこに何があるのかを確認して、移動できるようにしたよ。 以前住ん
でた所はふる〜い家だったから、隙間風があってこの時期ひんやりしてたけど、私の
自宅もそうだけど気密性が高いから思ったほど寒くないんだよね。 まあ以前の家が
かなり古かったってことだけどね。 母はだんだん記憶があいまいになってきてるか
ら、同じことを数分の間に何回も言うから、父はそれに対応するのが大変で前からそ
うだけどめんどうくさくなるんでしょう、よく怒ってた! 気持ちはわかるけどね。
 この日の食事はなんてことなかった。 なにしろ記憶ができなくなってる母だから
、私が来る日も覚えてないんだから仕方ない。 両親は夕食を摂ったらすぐお布団に
入っちゃうから、私はネットも使えないし、テレビも面白くないから休むのが早すぎ
てなかなか、なかなか眠れなくって困ったよ! でもお布団も用意してくれてたし、
kittyちゃんの枕(抱き枕だけどね)を買ってくれてたよ。 あくる日の大みそか
かなり冷たくなって風が強かった! 父は私の祖父におせちを持って行くために午前
中は出かけて、母とお留守番。 昔と違って母といてもあんまり頼み事はできないし
、しゃべるのも続けるとしんどくなるから正直言って自宅にいるよりやることがない
。 だからパソコンでタイピング練習! 父が帰ってきてから私のお買い物に付き合
ってもらったよ。 母はしんどいから寝てたんだけどね。 まずホームセンターに行
ってカーテンを買ってもらったよ! 私は青系統が好きだから青いのを探してもらっ
てマリンブルーみたいな布地に水玉がぽんぽんあってその中に鯨とイルカの絵が描い
てあるもの。 部屋に今付けてるけど、海の中にいる雰囲気かな? それから衣料品
店に行って、冬用のパジャマを買ってもらったよ! これも水色に青いリボン模様が
ついてるんだよ☆ それから100均に行って私が自宅で使うための割れない食器を
いくつか買ってもらったよ! ガラスとか陶器でもいいんだけど、今までそれを使っ
てて割っちゃってケガしないように始末するのに困ったことがあったから、一人だと
危険性があるよりは全く危なくない素材の方がいいと思ってね。 おしゃれなものは
なかったけど、すぐ使えるちょうどいいものがあったからこれで安心☆ それから帰
りに母に頼まれたものを買って帰ったよ。 家に着いたら思い出したのかなんなのか
、母は私のためにお鍋を作ってくれてたよ☆ 寒かったから先にお風呂に入ってそれ
から食べたよ! お豆腐と白菜と鳥つくねとえのきとくずきりの入った水炊き☆ お
いしかった☆ 残念なのは母が食欲もそうそうなくて座ってるのもだるいみたいだか
ら一緒に食卓を囲めないこと。 私はおいしくいただいたんだけどこの日悲しいと言
うか寂しいところを見ちゃった。 それは父が年越しそばを食べるって言うから母は
しんどいけど用意したんだよね。 だけど途中で父が母に「お前!これは何だ!」っ
て言うからなんだろうと聞いてたらどうもおつゆは1人前なんだけど、2人前のおそ
ばを全部一つの器に入れて父に出してたみたい。 母は問い詰められながら、でもた
ぶん何をどう間違えたのかきちんと把握はできないんでしょう。 「ごめん、ごめん
」って言うくらいしかできなくて、父はずいぶんご機嫌斜めになっちゃって、今でも
相変わらず怒って怒られての2人なんだなって悲しかった。 こういうことは今に始
まったことじゃないし、治療中はもっとひどい状態だったんだけど、治療は終わって
一様回復したということになっても、物事を的確に判断できない母にいらだつんです
ね。 私は2人の仲よりもあんなに完ぺきな炊事ができていた母がこんなにつらくて
悲しい現実に追い込まれてしまったことが娘としてはなんとも言えない表現しがたい
複雑な気持ちになった。 何が母をこんなふうにしたんだろう? 私が手間のかかる
子供だから疲れさせてしまったのか・・・ もしそうならごめんね。 この日の夜は
何年ぶりかに紅白を見たよ。 でも昔みたいに食い入るように見る気にはならないな
〜。 途中であきちゃったからダウンタウンの番組に変えたよ。 テレビを見ながら
母といろいろ話したよ。 埼玉で講師のおかげでパソコンが使えるようになったこと
、友達ができたこと、地元でも仲間とつながりができたこと、私のブログを読んでく
れて感想をくれる人がいること、そして晴眼者のほとんどは私の辛さをわからないこ
となどいっぱい話したけど「わかる人はわかってくれる、あんたはしっかり頑張って
るから絶対いいことがある、お母さんはいつもそう思ってる。」って言ってくれたよ
。 だから私もそう信じていよう! そして翌日はいよいよ2013年。 朝は弱い
私だけど、ちゃんと起きてお雑煮をいただいたよ。 母はいつも通り食欲がなくてあ
んまり食べないまんま休んでた。 私はそれからちょっとタイピングして、母の寝床
へ行って、久しぶりに施術したよ。 母はしんどいからこういう場合はあんまり長く
すると逆効果で刺激で余計にしんどくなるから短時間しかしませんけどね。 だから
私は何回かに分けてやります。 母を施術していると、ふらっと父が来て「あの〜こ
の後に予約が入ってるようなんですが・・・年は63で腰が痛いのと肢がだるいって
言ってまして、最近食べすぎで胃がいっぱいらしいんですが・・・この患者の後に予
約を入れてもいいでしょうか?」って言うんですね。 早く言えば父も施術してほし
いということ。 だけど私もふざけて言い返したよ。 「食べすぎは自分が悪いと言
って帰ってもらって下さい。」ってね。 まあそこまではたんなる親子のやり取りで
、母に一段落つけてから「63くらいの男性の方いらっしゃいます?」って言ったら
父が「はい、今来たところです。」って言うんで「こちらへどうぞ〜。」「どうもお
それいりますな〜。」っていうことで50分くらいやったかな。 父は座骨神経痛だ
からまだ一緒にいた時はよくやってました。 腰から足にかけて施術したよ。 父は
縦も横も大きい方だから結構体力使うんですよ! 私の腕1本で「痛い!痛い!」っ
て叫ぶんですよ! でも私は一様プロなんで途中で眠らせることもできますし、終わ
ったら「肢が軽くなった!」って言ってもらえます。 それで請求は全くしてないけ
ど、治療代ってことで3000円くれたよ! いらないって言ったんだけど、母も「
もらっておきなさい。」って言うんで15年ぶりくらいのお年玉ってことにしてもら
っちゃった☆ お昼から母に今度は下半身の施術をしたよ。 治療中からずっとなん
だけど、特有の末梢神経障害があって足がしびれて痛だるいんだよね。 こういう場
合は施術も効果があんまり期待できないし、下手にできないから、軽くやわらかい刺
激にしました。 何を説明しても記憶できないのが残念だけど、薬の飲み方やドクタ
ーにどんなふうに症状を訴えたらいいかとか一様伝えたけどね。 夜には毎年ダウン
タウンの浜ちゃんがやってるテレビを見たよ。 やっぱり面白かった! ちょうどこ
の時に埼玉で仲良くなった人から電話があったよ☆ たまに電話くれるんですよ☆ 
なんだかわけわかんないことを言うんだけどうれしいよね☆ あくる日はなんてこと
ない朝だったんだけど、さっき書いた浜ちゃんの番組で去年のお正月の再放送をやっ
てたからそれをお昼まで見たよ。 その時も母は休んでてせっかく来てもなんにもし
てあげられないからなんだか寂しい。 でも母は寝っぱなしじゃなくて、洗濯と掃除
はやってたんですよ。 母が掃除機を使ったらブレーカーが1つ落ちちゃって、テレ
ビもヒーターも消えちゃった! 母は状況があんまり把握できないけどなんでかな〜
って歩き回ってた。 こういう時に父はすぐ助けてあげればいいのに悩む母をほった
らかし! ここで「早く見てあげてよ。」って言ったら父は怒るから黙ってなきゃ雰
囲気が悪くなっちゃうんですよ〜。 なんとか母はブレーカーが下に降りてることに
気付いて、手が届かないからやっと父は立って行って上に上げたんだけどね。 もう
ちょっと優しくなってよ〜! お昼からは私はブログの記事作りをして、母はいろい
ろやってた。 父はのんびり駅伝を見ながら飲んだり食べたり。 その後、少し母と
しゃべってから眉毛を剃ってもらったよ。 私は髪も自分で切るし、産毛も自分で処
理してるんだけど、さすがに眉毛は剃れないからね。 それから私が持って帰って食
べれるものを母は作ってくれてた☆ ポテトサラダと千切りキャベツ。 しんどいの
にな〜んにもできない娘のためにごめんね。 そして翌日3日の朝、味噌仕立てのお
雑煮をいただいてから自宅に戻る準備。 私は冷蔵庫の中身を減らして実家に行った
から途中でお買い物に連れてってもらってから帰ることにしてたんで、午前中のうち
に父に送ってもらうことにしたよ。 帰る時に「お母さん、ありがとう、また来れそ
うな時があったら来るから。」って声をかけたんだけど、何に疲れたのか声も出せな
い様子で休んでた。 母の仲だけのリズムがあるんだと思ってるんです。 父とは機
会があれば会いますし電話ではよく話してるけど、母とはもうめったに会えないよう
な気がしました。 母もそう思ってたみたいで、2日の夜に「お母さんはあんたの家
にも行けないし、会えるかどうか気になってたけど、ここで会えたから安心した。」
って泣いてたよ。 そんなこと言わないでよ、今はまだ近くにいるんだからって思っ
て私も泣かずにはいられなかった。 初めて行った実家の感想を一言で言うとしたら
、ここでまた両親と過ごそうとは思わない。 これが正直な気持ち。 だって一人に
なったからこそ、なんでも挑戦して、つまづいて泣いて苦労して、でも手にできたも
のがあって、仲間が増えたんですから。 母も喜んでるし、いいんじゃないかな? 
今度は父にも頼らなくていいように本物の“独立”を目指していくよ! 父はあと2
年で定年だから今よりも金銭面では頼るわけにはいかなくなるんですよ。 今年の目
標は自分が希望する職に就くための勉強をすること! そして2年後には収入が得ら
れる状態になって、今度は私が両親にいろんな形のプレゼントができるように頑張る
よ! そうなれば両親の娘に対する心配も今よりは減るかも。 そう言えば3日の朝
に祖父に電話で挨拶だけでもしようと思って母よりずっと久しぶりに声を聞いたんだ
った! 祖父は83でさすがに昔の元気はないけれど、1人で無事に暮らしてる。 
体力が若干落ちただけで、元気そうにしゃべってた。 祖父も1人、私も1人。 お
互いに頑張ろうって言ったんだよ。 今年もなかなか現実が私を受け入れてくれなく
て頭抱えなきゃいけないんでしょうけど、負けないから! 何でも誰でもかかってこ
い!