障碍者だって優しくなければいけませんよね

私は幼い頃はいわゆる「健常者」だったから、自分が障害を抱えてさらに重病を患っ
てから特に感じるようになったことなんですけど、障碍者が(全てではないでしょう
が。)こう言ってることがあります。 「健常者はいいよ!なんでもできてそんなに
苦労しないんだから!」と。 私もかつてはそう思ってました。 ついこの間まで正
常だった身体がそうではなくなったということが子供だった私には受け入れられてな
かったのでしょう。 ですが年月がたち、いろいろな人と出会い、いろいろなことを
経験したことによってそれはちょっと誤解ではと思うようになったんです。 はたし
て健常者と言われる人々がみんな恵まれているでしょうか? 障碍者は何一つ楽しめ
ない世の中でしょうか? 決してそうではないはずです。 確かに身体のどこかしら
が不自由だとその分苦労はありますし、できないこともあります。 ですがどうにか
できるようになっているはずです。 助けてほしい時、手を貸してくれる人がいます
よね。 もちろんそうでない人もいます。 もし全く相談にものってくれる人がいな
ければ、誰とも連絡が取れなければ、身体の状態関係なくみんな生きてはいけません
。 世の中は皆助け合うことで成り立っていて、ひと時の過ちなら許されて以後は笑
って済ませられることもありますけど、誰かをだまし続けたり、誰かを裏切ることを
続けていたら、どんどん仲間を失い、助けの手も失っていきます。 そういう人ほど
誰かに、世間に自分の意見ばかりを訴えて、思い通りの返答がなければそれらを敵に
してしまいます。 私はそういう人を実際目にしたことがあります。 障碍者である
ことを理由に助けてくれないことがおかしいとか、障碍者の差別だと言い、精一杯努
力すればできることをやろうとしない人がいます。 そういう人が必ずと言っていい
くらい言うのが(視覚障害の場合ですが。)「見えないんだからできるわけない!な
んでやってくれないんだ!」というようなことを言います。 見えないと絶対できな
いことは限られています。 文字を自由に読み書きすること、色彩などを認識するこ
とは頑張ってもできません。 そこまで進行していない人もいますけど。 それ以外
は工夫次第で時間と労力は使いますが、可能なはずです。 晴眼者は後ろにも目があ
るでしょうか? 言うまでもなくないですよね。 なのでみんな見えないところはあ
るのです。 皆、見てできるのではなく、経験と感覚でできるようになっていくので
す。 これがわからない障碍者がいます。 私は視覚以外の障碍者の現実はあまり理
解できていないと思いますので、視覚についてのみ書いてますけど、手が動く、足で
歩ける、耳が聞こえる、脳が正常である等等、こういう力はあるわけですから、それ
らをフルに使っていかなければ、本当に無理なんだと相手にはわかってもらえません
。 限界まで努力するべきです。 それをやらないで見えるからいいとか見えないか
らできないとか言っていたら、なかなか生きていけないでしょう。 私は視覚にも障
害があり、全身が震え、感覚も鈍麻であると病院で診断されましたし、とても頑張っ
てできることではないと周りが理解してくれていますから、私はやろうとしますが「
それはできないでしょうね。」と言われることがあるのでやってもらっていることが
あります。 ですが、今こうして使っているパソコンもできないとは思っていました
が、「できるんじゃないかな?できた方が便利ですよ。」という声があったので本当
に泣きながら努力しました。 何度もやめたいと思いました。 ですがちゃんと指導
者がいるのです。 仲間は励ましてくれるのです。 可能性があるのにやらないわけ
にはいきません。 なので指が攣ってしまうほどやりました。 そのくらいやってで
きなかったら周りもできないんだと判断して助けてくれるでしょう。 ですができる
ことの方が多いはずです。 健常者に助けてもらうことを当たり前だと思ってはいけ
ません。 五体満足な方々にはぜひ援助の気持ちを持っていただきたいですが、障碍
者の方もできる限り自分で取り組んでいきましょう。 そして助けてもらった時はお
礼を忘れず言いましょう。 ‘生きる’ということだけを考えると障害があってもな
くてもそれなりの苦労は着いて来るものですから・・・