自身の気持ちの持ち方を変えましょう

私も人様のことは言えないくらい誰かに対して、もしくは届きもしないのに世間に対
してよく文句や悪口を言うことがあります。 今はそんなことも回数は減りましたけ
ど、心の中では常に不満を持ってぐちを言いっぱなしです。 なので言う資格がない
ようにも思いますが、身近なことで感じたままを書きます。 私達障碍者は日常の中
で不便を感じずにはいられませんし、なんだかんだと悩みや苦労がつきまといます。
 なので何かをやろうと思った時、やらなければいけない時など、移動手段に困った
り、金銭的につらかったり、自力ではできないことが出てきます。 そんな時、援助
する立場としての知識や技術はないけれど、声をかけて下さって、何かできないかと
手を貸して下さる方がいますよね。 そういう方々には失礼な言い方になりますが、
介助者としては素人なわけで、モシカシ時には危ない介助をされる方もいます。 そ
んな時皆さん(障碍者の方々)はどう思ってますか? 実際目にしたわけではありま
せんが、障碍者の中には助けようとしてくれている方にテクニックがないからと、不
満を言う人がいるようです。 確かに私も「こういう解除はなくていいんだけどな。
」と思うことはあります。 ですがどんな形であれ見えない私達を思いやって、なん
とか力になろうという気持ちがあるからこそ、助けようとして下さるんだと思うんで
すよね。 きっと「手を引いてあげればいいんだろうな。」とか「行ける所まで一緒
に行った方がいいんじゃないかな。」などとそういう方々なりに考えて下さっている
はずです。 私が視覚障害なのでそれについてしか言えませんけど、晴眼者が視覚障
碍者の本当のつらさがわからないのと同様で、私達も私達を見る晴眼者の心底はわか
っていないと思います。 私もそうですがかつては晴眼者だった人も今はそうじゃな
いんですから、理解はできないと思います。 時代が変れば環境も変わりますし、人
々の動きも変りますから。 なので物足りなくても何かが間違っていると感じても、
助けの手はありがたくいただいておきましょう。 もし本当に危険が伴なうような介
助を受けたなら、こちらからこうしていただければと希望を伝えましょう。 そうい
う方々ならみんなとはいかないでしょうが、理解して今後そのようにしてくれるはず
です。 結構冷たいなと思っている方々もひょっとしたらどうしたらいいのかわから
ないし、手を出した方が邪魔なのかと思っているだけかもしれません。 なんでこう
してくれないとかこっちの身にもなれよと言うばかりでは、自分も気分が悪いですけ
ど、そう言いたげな顔をしている私達を見る方も気分が悪くなって、避けてしまうの
かもなんて思うようになりました。 そして例えばですが、○○を給付するんじゃな
くて年金額を上げればいいのに、○○なんかいらないから○○の方を給付シすればい
いのに・・・など気にいらない恩は否定する人もいるようです。 私も同様のことを
感じることはあります。 口にすることもあります。 昔はこうして私も文句を言う
ことが多かったのですが、最近はとりあえず生活できるように考えられている福祉、
障碍者側からすると、足りないことが多いのは確かだと思いますが、制度を設ける人
障碍者ではないんですから仕方がないと思います。 先に書いた例と同じく、これ
でいいだろうという単純な考えしかできないんでしょうから、それにいちいち文句は
言えません。 障碍者だけにあるサービスをあげてみると、わからないなりに作って
くれているのであろう制度がいくつもあります。 否定する前にこのような制度を設
けられていることにまずは感謝しましょう。 私が一人になって強く感じるのは、一
番近い存在である親ですら私にできることとできないことがあって、それが何なのか
具体的にはわかっていないものです。 同じ障碍者同士でもお互いが理解できない、
それだけなら人と人ですから許せるとしても、同様のつらさがあるはずなのに、何か
一つでも相手に気にいらないところがあると、理解しようともしないんですから。 
障碍者同士でわかりあえないことがあるんですから、そうでない人の援助に物足りな
さを感じるのは当然です。 でも何かしようとしてくれる人がいるというただそれだ
けのことに感謝する気持ちを持つようにすれば、今の生活にもありがたいと思えるか
もしれません。 欠点を見つけるのは人間の得意とすることの一つですが、相手も貴
方の欠点を見つけていることを覚えていて下さい。 もし貴方が常に感謝の気持ちを
忘れないでいて、無理なく相手を尊重できるようになったら、誰とでも気持ち良く接
することができるようになって、みんなから愛される尊い人間になれるかもしれませ
んよ。