今でも腹がたつ

あれは私が29歳の時だったと思う。 ある夏の夕時、私は入浴中で、

両親は隣の部屋で食事中だった。 当時の実家は屋内が不便で、脱衣場がなく、

お風呂から上がり、着替える場所は左に茶の間、その横に階段、右には

くみ取り式のトイレ、その横に玄関というわずかな面積で着替えるしかなく、

子供ではない私は常に人の出入りを気にしなければならなかった。 他人なら玄関を

ノックするので、急いで隠れればいいが、茶の間との境の引き戸はそうはいかない。

 それに玄関であっても、両親はノックなどしない。 だが、古く狭い家なので

外からの足音は着替えていてもよく聞こえた。 問題は引き戸である。 

靴をはいているわけでもなく、カーペットを何枚も重ねていたので、

足音などしない。 引き戸が開くまでわからない。 そんな状態で

その日もバスタオルで体をふいていた。 その時だ。 引き戸が開いて、

父が出てきた。 急いでタオルで隠したが遅かった。 父か母か区別できるまで

私の眼では時間がかかる。 父は引き戸を閉め部屋へ戻った。 階段に置いていた

ビールを取りにいきたかったのだろう。 こんなことが何度かあった。 

だが、私は体だけだが大人になっている。 なぜか他人に見られるよりも不愉快だ。

 むろん、わけのわからないオヤジもごめんだが。 

私ははらわたが煮えくり返るのが自分でもよくわかった。 

正面からはっきりと見られてしまった。 私が腹立たしいのは

父はこんなことがあっても、すまんの一言がない。 

それさえあればしょうがないで済ませるが、父は自分に火があって、

こちらが嫌がる場合、謝ったことがない。 家族にだけは。 

私が月一のものがあって、下着の生理用品を取り替えていた時に

出てきたこともあったが絶対に謝らない。 顔も見たくなかったがそこを通らないと

自室へも行けないので、仕方なく茶の間へ入った。 母は娘がいるかもしれないから

と止めなかったことを謝ってはくれたが、父は知らん顔だった。 母も最後には

そんなことどうでもいいじゃないかと言った。 私は思った。 

あんたたちは夫婦だ、そりゃどうでもいいだろう、だが、私は娘だ、身内であっても

恥ずかしいことだと思い生きてきた、母でも娘の気持ちはわからないだろうと。 

そして私は母に私の気持ちなどわからないと言った。 すると、

それまで知らん顔していた父が私を睨み、携帯を握ったこぶしで私の頬を殴った! 

どんなにむかついても手だけは出さないと言っていたのに最悪である。 

さすがに力はぬいていたので、歯が折れることはなかったが、頬が腫れ、

数日痛みがあった。 こんなちっぽけなことで娘に手を出した父が

憎たらしいのと信じられないのとで、私は自室へ飛び込み、泣き叫んだ。 

そして部屋にいるのももどかしく、私はパジャマの上にパーカーを羽織り、

白杖を持って、夕暮れの道へ出ていった。 知った道をとぼとぼ歩き、

涙も乾いていなかった。 周りにはどう見えていただろう。 

変体だと見えていたか、わけありの奴に見えていたか。 私はしばらく進み、

実家からはほど近い用水路の前で足を止めた。 知らない所まで行って、捜索願でも

出されるとめんどうである。 用水路のガードレールに寄りかかり、

また泣いていた。 私がそこまで出て行ったのは

父が頭を冷やせと言ったからである。 父の言うとおりにしたというよりも、

とにかく実家からは離れたかった。 今頃、母はあたふたしているだろうと

思いながら立ち止まっていた。 時は流れ、辺りが真っ暗になった頃、

1人の夫人が声をかけてくれた。 私と世代は変らないだろうと想えた。 

心配そうに私を見つめ、慰めてくれた。 よろしければ話を聞きますがと言われ、

スーパーのある方から歩いて来て買い物袋を下げており、

目の前のマンションに入ろうとしていた様子だったので、普通の主婦だろうと、

私はいきさつを話した。 すると、恥じらう気持ちは女性として当然であり、

貴方は間違っていないと言ってくれた。 夫人にも娘がいるらしく、まだ子供だが、

我が娘にも恥じらいを持って成長してほしいと言っていた。 そこでしばらく

話をさせてもらったが、ここにいてもどうにもならないし、

両親はきっと心配しているでしょうということで、戻ることにした。 

送りたいが家を知らないので、当然悩む。 私も夜道は歩けない。 そこで頭の中に

地図はあったので、説明すると、近いから一緒に行きますと言ってくれて、荷物だけ

置きに部屋へ入っていき、ご主人を連れて出てきてくれた。 そして歩きかけた時、

私のことを知っている母とも交流のあったご婦人がどこからか自転車で帰ってきた。

 夫婦とご婦人は近所づきあいがあるらしく、私の事情をご婦人に伝えてくれた。 

ご婦人は私の実家も知っているので、では、私の車で行きましょうということになり

皆で乗せていただいた。 車中でも夫人は私の手を握ってくれていた。 

車では5分とかからない。 あっという間に到着すると、思った通り、

母がいつか帰ってくるだろうと、ぼろ家の前の道を見回していた。 ご婦人が車から

降りると、母に会うのも久々なので、驚きと共に母は頭を下げた。 次いでご主人と

婦人に手をとられて私も降りた。 私は黙っていた。 婦人が私の話しから

気持ちが痛いほどわかると言い、代わりに話してくれた。 母は3人に

深く頭を下げ、車が見えなくなるまで動かなかった。 私はこっぴどく叱られた。 

だが、謝れなかった。 人の手を煩わせたのは申し訳ないが、

まだ両親が許せなかった。 私は自室へ入り、ベッドに伏せた。 しばらくすると

母が夕食のお膳を運んできた。 早く食べなさいと言われたがいつも6時半頃なのに

その日は8時をずいぶん回っていたのと、ショックが消えないこともあり、

食べる気分ではなかった。 結局食事をどうしたか、薬は飲んだのか、

後日どうなっていったか記憶が飛んでいる。 あれから何年も経ち、

悪い変化しか起きない親子だがこれからどうなるかなどわかるものではない。 

あの時だけは父などいなくなればいいと考えていた。 今ではそうは思わないが、

父のことは好きにはなれない。 母にも私を守る力はなくなっている。 

言い方は悪いが、挫折を味わっても、実家に戻る気はさらさらない。 申し訳ないが

めんどうも見れない。 今でも環境に悩まされている私だが、

自分で余生を楽しめるように、人生をつくりあげていきたい。