誰かが誰かの望みを叶えて

私の長所なのか短所なのか判断しかねますけど

何かやりたいなぁって思ったら

できるだけ早くやり始めたいっていう性格。

だからみんなそれぞれ都合はあるとしても

まだいいやって感じでとろとろするのは大嫌い!

私は思い立ったらやってみないと気が済まないタイプで

予定が延び延びになったりするのも気にいらない!

誰がどう聞いても「そりゃ無理だね。」って言えるような

正当な理由がない限りやるかやらないか

できるかできないかさっさと動くようでなきゃ

私は納得できないし、どうせ他人事でしかなく

自分だけがよければいいんでしょって思わずにいられない!

私は自分がやりたくてどうにかできそうなことなら

格闘しながらでもやってみます。

自慢できることじゃないけれど、私は私だけじゃなくて

誰かが望んでいることで迷ってたりするなら

できるだけ助けたいと思って

わからなければ調べてでも助言しますし

可能なら行動に移ることもありました。

これからもそうするかどうかはわからないけど。

哲学者じゃないんだから、えらそうには言えないけれど

人ってたった一人じゃ生きていけないし

その前に成り立たないものだよね?

だから自分を守りたくて可愛いと思うのは当然だと思うけど

他の誰か、つまり親、兄弟に始まって

幼馴染、同級生、親友、恋人、夫婦

そんな存在はもちろん、病院、施設、事業所、

その他日々の暮らしの中で偶偶出会った人など

いわゆる他人も思いやりを交わせるようでなきゃ

人としていかがなものでしょう?って思いますねぇ。

人って多くの場合、自分以外の人の欠点を見つけるのが得意で

探すのも好きなものですよ。私もそんなところがあるかも。

でも、子供の頃はそのとおりだったけど

今はとらえ方を変えててね、

老若男女関係なく、あんまり好きになれない人でも

「なんかいいところがあるはずだよなぁ?」って

考えるようにしてますよ。それがいいかどうかは疑問だけど。

私が思うにそうじゃないと

自分以外はみんな基本は敵みたいなものでしょうし

助けたり愛したりなんてできないはず。

話しが脱線しちゃったけど

誰かの望みは誰かが叶えてあげて

誰かが起こした行動が誰かの役に立ったり

生きがいになったりするっていうことが優しさとか

思いやりとかであって、それが最終的には自分の喜びと実績になって

みんなが“生きててよかった☆”って

感じられるんじゃないのかな?

自分を愛する前に誰かを愛して

その誰かのために尽くすことが仲間意識だとも思うし

そんなことができた自分のことは無意識に

褒めたくなるでしょうし、すると自分の生きがいにもなるでしょう。

皆さんは誰かのために力を尽くしたことがありますか?