私の今まで

さてネタに困るブログですけど

今日は私の今までの人生

(たいしてなんにもないんだけど)

私が産まれてから

今に至るまでの

流れをざっと書くことにします。

細かいことはその都度書いてるから

だいたいこんなふうに生きてきましたっていう

少ない経験などを

簡単に書いてみますね。

つまんないと思うけど…

■ 昭和後期実家がある市内の病院で産まれました。
帝王切開で。
身長53?、体重3880g。

■ 生後間もなく父の転勤で大阪へ。
約2年在住でここで親友家族と出会い今でも仲良くしてます。

■ 会社命令で大阪から東京へ転勤。
が、田舎育ちの父は通勤ラッシュに耐えられず
今いる地域に戻ってきた。

■ 私は当時の実家からほど近い
幼稚園に入園。

■ 幼稚園の向かいにある小学校に入学。
高学年になる頃から視力低下が現れ
校内にそんな生徒は私だけだったので
いじめのターゲットになってしまう。
勉強はしないでいいからと母に言われ
6年間通学した。

■ 視力低下が顕著になったので病院へ行き
視覚障害であることを告げられ
手帳の給付を受ける

■ 中学から盲学校へと決めざるを得なかったので
入学手続きして最初は寮生活したが
決まり事が嫌になり
中学3年から理療科3年で卒業するまでは
自宅から徒歩→電車→スクールバスで
通学していた。
(ダイアの乱れなどでバスに乗り遅れたら
市バスで学校手前まで行き
歩いて到着していた)
在学期間は9年。

■ 卒業し国家資格も取れたので
職を探したが
理想は見つからず
試しに実家近くの治療院へ出向き
働くようになったが
真夜中の仕事だったので
怖くもなり生活リズムが狂うので
一週間でやめた。
ここに勤めていた施術者の
口の悪さや衛生面に気を付けていないことに
耐えきれなかったのも理由。

■ 両親は仕事をしろとは言わなかったが
資格を取ったというプライドもあり
なんとかならないかと
自室で近所の人相手に施術したり
スタッフにはなれなかったが
通院していた病院内の一室を借りて
たまに病院スタッフに施術して
お小遣いにしていた。
ここでは数年やらせてもらったが
最終的にneesがなくなり
やめるしかなかった。

■ 簡易ヘルスキーパーをしていた最中
肝臓が悪化して入院し
退院してからは落ち着いていたが
入院をきっかけに内服薬が増えたので
現実的に働くことは無理と考え
三十路まで遊んで過ごした。
遊んでいたと言っても暇なだけで
楽しくはなかった。

■ 私が三十路になる年の夏母が倒れ
入院したので一か月ほど
父と二人暮らしになった。
父とは相性が悪く
会話もあまりしないままで
暇なことに加えて悲しかった。
父は母に頼りっきりだったので
家の事は何もしてくれず
私は慣れない家事炊事をしていた。
手術直後の母を見た時は
話しかけることができず泣きっぱなしだった。
退院してから母の抗がん剤治療が始まり
一応仕事している父にはできない
通院の付き添いを一年半続けた。
自分と母と両方の診察を受けるために
院内を上から下まで走り回った。
母は衰えはしたが一応治療は一段落し
3か月に1回の定期検診でいいということになったので
あとは父に頼んだ。

■ 看病中に何をどうするか父に説明していたので
なんとかなるだろうと思い看病疲れした私は
今のアパートに引っ越してきた。

■ 引っ越してきて一か月も経たないうちに
偶然盲学校の寮でお世話になったことがあった先生に再開し
一人暮らしになって困ることが多いだろうと
訓練施設へ入所することを勧められた。

■ 施設入所手続きが完了するまで
地元施設でパソコン講座に参加したり
ほぼ毎日来館し
施設のパソコンを使わせてもらっていた。
何を教わるわけではなく
使いやすいソフトで遊んでいただけ。

■ 引っ越してきて半年ほど経った頃
訓練施設のある埼玉へ新幹線で向かった。
遠距離のため受付当日の朝に間に合うように
前日の夕方に訓練施設近くのホテルに宿泊。
施設の受付が終わるまで父にいてもらった。

■ 年末にパソコンを買うために
一時帰省したりしながら
用意されていたプログラムは
5か月ほどで終了し
地元に帰省した。

■ いったん地元を離れた期間があったが
一人暮らしを始めてからは
通院やショッピングその他家事援助など
何人ものヘルパーさんにお世話になっている。

■ 自立訓練が終わったので職能開発をと訴えたが
施設もめんどうがり地元市も税金を遣うことを嫌い
苦労して用意した診断書などの書類は
送っただけで無視された。

■ 在宅の仕事ができないなら労働は無理なので
就職は諦めて
自分に何ができるか考え始め
地元施設に相談した結果
ブログに始まりツイッターの操作法を教わり
今もフェイスブックやその他疑問やトラブルがあった際は
サポート依頼してパソコンで交流し
スキルを上げるように努めている。

■ パソコンに加え歩行訓練も受けられることになり
習得したテクニックを生かすために
できる範囲内で活動している。
パソコンにしても歩行にしても
知識や技術を高めるだけが目的ではなく
人との出会いを増やして交流を深め
実際に付き合える人を増やすことを
最終目標にしている。
これから先充実した生活ができるように
引き続き努力していくしかないと考えている。

ちょっと真面目なと言うか

面白くない書き方にしちゃいましたけど

まあ私のこれまでは

この程度でしかないんですよ。

まだ若いです!って

自信持って言える歳じゃないけど

まだ先が永いんだと思って

生きていくしか方法はないなって

日頃から感じてる私です。