世界観は個々の生活で変るでしょう

視覚障碍者の世界は狭いと言われますが

果してそうでしょうか?

確かに自由がきかなくなる分、

ある一定範囲内に

閉じこもるのはやむをえませんね。

でも現代はこういう

ネット社会なので、

注意は必須になりますが、

うまく利用すれば

どこの誰と知り合うか

どんな場所を知ることになるか

わからないものですよね。

障害者に多いかどうかわかりませんが、

室内に延々と閉じこもっていたら

何の変化もないですが、

使える機能を大いに使って

輪を広げようとしていると

障害があろうとなかろうと

世界観は広がっていると

私は感じています。

フェイスブック

いい例だと思うんです。

私は通勤通学が

できない身体になってしまったので、

出会いや情報を得ることが

とっても少なくはなります。

ですがフェイスブックを始めてからは

利用する前と比べると

私自身精神的に落ち着いてきて

暇なことは変りませんが、

新たな出会いがあったり

ここでやり取りさせていただけたり

懐かしい人や初対面の人と

メールやお電話くらいは

していただけるようになっていますので、

最近は以前ほどの

孤独感がありません(*^。^*)

それが地元の人だけではないということは

とっても視野が広がって

交流範囲が良い方向に

変化したことになると思うんです。

世界が狭いと言う人は

常に視覚障碍者の集まりに

参加しているのでは?

と感じたりもしてます。

それがいけないわけではないですけど、

外に出れば広がると言うのは

ちょっと違う気がします。

出るなら出る先がどんな所かによって

視野が広くなるか狭くなるかが

決まるんじゃないかと感じます。

視覚障碍者は特に

好きな時に好きな場所へ

行くことができませんから

出るから広がる

というわけではないように感じます。

行った先でメンバーが変らないなら

それ以上にはならないでしょうし

世界観はそこで止まるでしょう。

もちろん必要があって

参加する場合は

それに意味があるんですから

それはそれでいいと思いますけど、

「こんなことにも参加してみなきゃ!」

みたいなことを言う人は

決して視野が広いわけじゃなく

決まったメンバーで

似たようなことしかやってません。

私自身の考えですけど、

広げるための手段は

外出だけでなく

携帯やパソコンがあるからこそ

なかなか移動はできなくても

様々な知り合い方は

あると思っています。

それだけになると

見えないものばかりになりますから

それを防ぐために

外出も必要なだけで、

出なきゃ変わらない

というのは賛成できません。

現代にあるものを利用しながら

いろんなことを続けていれば

新たな出会いや交流が

広範囲で可能だと思っていますので、

今の私は視野が狭いとは

思っていません。

広いか狭いかは

障害でなく各々の生活スタイルで

決まってくると感じています。