いじめられても生きていけます

昔から感じてるんですけど、

子供のいじめって

いけないことだと騒ぐ

大人と呼ばれる人たちがいますね。

いいことじゃないのは確かかも

って思いますけど、

無理にやめさせようとしなくても

って思うんですよね。

私がこう思うのは

私自身がいじめられていたから。

いじめはよくないっていう

放送などして解決すると

思っていることにまず

納得できないんですよね。

いじめられてる子を

励ます事にはなるかもですけど、

いじめる方はそんな放送

耳に入れませんからねぇ。

個人的な考えですけど、

いじめられる方も

どうしたらいいかを

考えなきゃいけないんじゃないかなと。

つまり「いじめられ上手」

になるってこと。

もちろん楽しくないですよ

仲間外れなんかにされちゃうと。

でも、ここでただたんに

逃げるとかつまらない

仕返しをしたがるとか

そんなふうにしか受け止めないから

辛くなるんですよ。

そうじゃなくて

例えば勉強ができないって

いじめられるなら

「バカでもスポーツは得意」

みたいにアピールできるものを持っておけば

スポーツ選手でも目指して

勉強はできない

オバカさんでいいでしょうし、

いじめられる原因はあっても

「自分はこうしていこう!」

って決めちゃってれば

辛くはな愛ですし、周囲がどうであれ

自分は自分を見失わないで

過ごしていけるはずなんですよ。

今は変ってるかもしれませんけど、

子供って無意識のうちに

格付けをする傾向にあるようで、

先にも書いたように

○○ちゃんは○○ができないけど、

○○は私より上手というように

クラス内で誰が何について

何番目見みたいな

思考能力を働かせるらしいんですね。

こういう格付けって

一見悪いことのように聞こえますけど、

自分ができることとできないことを

区別して判断して

バカでまぬけと言われていても、

そんな中で自分の目標とか

毎日がどうやったら

面白くなるのかなどなど

考える力をつけるようにするのが

いじめをなくすよりも

大事じゃないかなって思うんですよね。

子供がいない私にはわからないんですけど、

学校で運動会など

競うことについて

順位をつけなくなったりしましたよね。

一昔前のことかもしれませんけど。

勝ち負けで決めちゃいけない、

人に順位をつけるものじゃないと

一時期うるさかったですが、

子供の教育課程で

順位をつけるのは

あっていいことだと思います。

負けた悔しさをどうやって

克服するかを考えるようになります。

勝った喜びをかみしめて、

もっと上を目指すという

考え方になるはず。

私がそうでしたから。

子供だけじゃなくて

年齢関係なく、

自分がいる環境で

どうしていくのがいいのか、

自分が楽しむためには

どうしていくべきかを

一人一人が考えていると、

極端なマイナス思考には

ならないんじゃないかな?

それぞれに才能があるんだから

悲しい方向に傾けて

才能を殺すんじゃなく、

産まれ持った才能で

自分の存在を確かなものに

していくことが大事では

って感じてます。