応援できない支援

今日の記事は多くの人の

反感を買うかもしれませんが、

私個人の気持ちであるということと、

同意見の人が確かにいる

ということはご承知下さい。

地元である方が

(以下Tさんとします)

海外に盲学校を建てたとか、

多くの寄付をして、

恵まれない視覚障害者を救ったと

ずいぶん宣伝されてます。

私は以前から

Tさんの言動には

賛成できないでいます。

地元視覚障害者が

まだ恵まれていないのに、

生活環境に不自由があり、

悩んでいるケースも多いのに、

なぜ海外へ目を向けるのか、

そして自分のやることは

素晴らしいことだと言いふらすかのように

テレビやラジオに出演するという

してやったりの姿が気に入らないです。

確かにTさんが助けた国は

日本と比べると、

貧困で悩んでいるという

現状はあるんだと思いますが、

海外に数百万も寄付できるなら、

地元でも視覚障害者のために

投資していただきたいと思います。

Tさんも視覚障害者ですから、

身近にいる私のような

障害+病気+貧乏+支援利用で

なんとか生活している

弱者と呼ばれている者のために

活動していただきたいのが本音です。

地元で視覚障害者が

福祉に関する相談などしても

聞いて聞かぬふりする癖に、

いかにもすごいことしてますみたいな

言動には呆れます。

わかってるんです。

Tさんは地元の放送局に

かなり持ち上げられて、

いいかっこするばかりで、

地位と名誉を手にしたように

悠々と生活してますから、

私のようにやっとの思いで

生活している者の

気持ちはわからない、

わかろうとしないんです。

地元で苦労している

視覚障害者は放っておいて、

外へ外へと支援の 手を伸ばす・・・

順番が違うんじゃないの?

って思えてならないんです。

加えて子供のいじめを

なくさなければというねらいで

映画上映も以前してましたが、

私に言わせれば

「そんなことは何の改善にもつながらない」

という作品でした。

Tさんがいじめられながら

成長した半生を見せて

何が変わります?

そして、この映画を見るのは

誰でしょうか?

まず言えることは

いじめている子や家族が

見ることはないということ。

だから全く意味がないわけです。

私はいじめられていたので、

発言ができるんですけど、

いじめはなくならないものです。

人間の在り方として、

上と下という区別、

あるいは差別があることは、

この世で生きている限り

避けられない現実です。

いじめがなくならないのなら、

いじめられる方が

かしこく強くなるしかないんです。

Tさんは子供の頃にいじめられていたようなので、

そこは私も同じです。

ですが、Tさんは

いじめっ子に無意味な仕返しを

していたようです。

Tさんの人生ですから、

それがいけないとは言いませんが、

仕返しをしていたという事実に

またも呆れました。

子供だったとは言え、

仕返しをするということは

悪いことをしている相手と

同レベルの寂しい人間になる

ということに気づかなかったのかと。

私は仕返しなど

したことないですし、

しようとも思いませんでした。

ただたんにいじめられて悔しかった、

視覚障害者に優しくしなければいけない

というような自我を通す

頑固者の映画としか思えません。

Tさんは素晴らしいと

応援、援助する人がいますが、

私は絶対に

応援はできないと決めています。