障害の種類関係なく理解し合えたら

そうしたものだと思いますし、

当たり前だとも思うんですけど、

視覚障害者は視覚障害者同士で

慰め合いますし、

励まし合う場面は

よく見ますし、

耳にもします。

他の障害者の世界は知らないので、

なんとも言えませんが。

似た者同士って言うか、

同様の状況がある仲間の間で、

伝えあい助け合うことは

決して悪くないですし、

むしろ、そうでないといけないと

感じてはいます。

でも、ちょっと待って。

見えない者同士が

お互いをわかろうとするのは

当然のことであって、

特別素晴らしいとは思えないんですよね。

仲よくするのがどうとかじゃなく、

同じ障害者同士が

支え合おうとしていること自体は

思いやりとか優しさでしょうから、

それはそれでいいことだと感じます。

私が思うのは

障害の種類が違っても、

違うことによって付き合いにくくても、

違うからこそお互いに

できることとできないことがあるんだから、

障害者みんなが仲間になろうって、

広範囲で助け合う、

お互いを知らせ合って

お互いを理解することが、

本来の理解、助け合い

になるんじゃないかなって思うんですよね。

こう書いてる私だって

普段は自分の辛さしか

わかってないですし、

仲間って言うとやっぱり

視覚障害者同士になってます。

こんな感じですけど

視覚障害者のためにこうしてくれないとおかしい」

みたいなことは言いません。

希望は持ちますけどね。

見えない者が見えない者に

助言することは簡単でしょう。

自分の経験を教えれば済むんですから。

困ってる人とか

悩んでる人に対して、

同じ障害を持っていて、

手を差し伸べるような活動を

されている人がいますけど、

なんで自分と同じ苦しみを持つ人にしか

助けの手を出さないんでしょう?

いいことしてるんでしょうけど、

私は同じ障害者のことしか

支援の心がないということに

もの足りなさを感じてます。

急に広範囲の障害者と

仲間になることは

困難なことですから、

すぐにとは思わないんですけど、

自分とは全く違う障害で、

大変な生活をしている人にも

思いやりの心を持って、

何かできることはないかなぁって

みんなが考えるようになったら、

みんなの世界が広がって、

人として生きてる意味が

深まると思うんですよね。

こう考えると、

私のような障害+病人を相手に

いろいろとご支援下さっている

健常者と呼ばれる方々は

ありがたい存在であると共に、

身体の一部の代わりになろうと

励んで下さってるわけですから、

とっても素晴らしい、

尊い存在なんだなぁと

改めて感じます。

自分と全く違う

苦しみを背負っている

障害者に手を貸して下さるんですから。