いじめをいじめと感じない方法

「道徳を学べば悪はなくなる」

そうでもない気がする。

学校の教科書で

認識できる道徳なんて

ないんじゃないのかな?

だって、私が小学生の頃、

道徳の授業はあったけど、

私いじめに遭ってたし。

教える側の教員にも

見てみぬふりされてたんだから。

本を読んで学ぶんじゃなくて、

育っていく環境下で

自分って何なのか、

親って何なのか、

友達って何なのか、

正しいことはわからなくても、

間違いは何なのかって

学んでいくものだと思うんですよね。

なんか、世間一般的には

「いじめは悪だからいじめる方を改めさせよう」

としますよね。

私はそうじゃないと思う。

いじめをなくすことを

目的にするんじゃなくて、

どんな環境下でも

上手に歩んでいく方法

があると思うんですよね。

自論ですけど

「どんなことを言われても相手の気持ちだととらえる」

意外といじめる人って

心底では自分自身を

みじめに思ってる傾向があるんじゃないかなと。

「いじめられようとも相手を尊敬して礼儀正しく接する」

妙に聞こえるかもですけど、

相手に反抗の意識があることを見せると

相手のペースがヒートアップするでしょう。

どんなに悪そうな人でも

相手は人間ですから、

自分を敬われたりして

気分を害することはない、

むしろ、いじめてるはずなのに、

丁寧な態度で出られたら、

いい意味で拍子抜けするんじゃないかな?

こうなればいじめは

減っていくでしょう。

「目の前だけじゃなく感じるもの全てに敏感になること」

相手の顔をなんとなく見るんじゃなくて、

その瞳の奥まで見るように、

言動とは違う何かがあるかもしれない、

人だけじゃなくて、

周囲の景色や香り、温度などを

自分の感覚でしっかりとらえて、

奇麗な物やかぐわしいもの、

暖かさや涼しさなど、

素直に感じ取ること、

とらえたままを言葉にすること、

こんなことをするようになれば、

嫌なことをなかったもののようにできたり、

おのずと幸福感が生まれてくるんじゃないかな

なんて私は考えます。

人一人を思い通りに

変えてしまうのは至難の技!

それに変えてしまう権利はない。

なら、自分が何事も受け入れて、

自分が変わればいいじゃない?

変った分、いじめられた自分だけど、

大きく成長すると思うんですよね。